8月も明日で終わりです。この月は、広島・長崎の原爆忌や終戦記念日、さらには御巣鷹山のJAL墜落事故という感じで、世間的にも死と生をめぐる話題が何かと多い時期のようです。しかしこの8月は、何だか個人的にも、人の死や生を考えざるをえない状況に置かれている私です。
狙撃兵は標的の命を一撃では奪わないという話を聞いたことがあります。手足を撃って負傷させる方が、その救助・搬送の手間の分だけ、敵の戦力を減じることができると(これ、確かマンガで読んだ話なので本当かどうかは知りません)。対人地雷も、相手を殺さず重傷に留めるよう威力を抑制していると聞きます。命を奪うよりも身体に障害を与える方が敵国の社会にとっては負担になるのだ、と。
まったくもって、残酷な、非人道的な話です。
とはいえ、そうやって負傷させられた兵士やその家族のなかには、それでもやっぱり「命だけでも助かって良かった」と思う人が(全員ではないにせよ)けっこうたくさんいるのではないかと想像します。
しかしもちろん、それは胸や頭部を撃たなかった狙撃手のおかげでもなければ、威力を弱めた対人地雷のおかげでもありません。いずれの場合も話は簡単で、そのような残酷かつ非人道的な狙いを持った行為がそもそも生じないようにすれば、つまりそういう行為の総体としての戦争が起こらなければ、何のジレンマも生じないのです。
問題は、命を奪わず、重い障害を残すという、そのような行為が、純粋に善意によるものだった場合です。
そんな状況があるのかって?
あります。たとえば、医療の「成功」により、絶望的な状況から回復したものの重い障害が残ってしまった場合です。
命をとりとめたこと自体は、本当にありがたい幸運です。「助かってくれてよかった」、それだけです。医師や看護師、それを支えるすべての人たちの善意と奮闘には、どれほど感謝しても足りないでしょう。
でも……その後、障害と戦う本人・家族にとって非常に重い負担が残るというのは、一方で紛れもない現実です。公的な扶助もいろいろあるのでしょうが、それを最大限に活用したとしても、これまでの生活、あるいはその延長線上にあったはずの生活のうち、何らかの犠牲を払わずに状況に適応していくことは、かなり難しいように思います。
だからといってどうすればいいの、と問われても、返すべき答えはありません。そもそも、この道を選ぶか否かという選択は、たいていの場合与えられていないからです。残された負担は、「負担」ではなく命を救われた幸運の「オマケ」として受け止めて行かなければならないのだろうと思います。
ありがたいことに、私がこんなことをのうのうと書けるのは、他人事だからです(←おいおい)。「明日は我が身」という言葉も脳裏をよぎったりはしますが、とりあえず恵まれた状況で安穏と暮らしています。でも、上に書いたような状況の人(たち)を支えるのに、公的な仕組みで行き届かないところがあれば、あとはやはりプライベートなネットワークしかないのではないか、という気もしてきます。
ええと、きわめて分かりにくい内容になってしまいました。なんだか、これについては何を書いても、どこかしら間違ったことにしかならないのではないか、という気がしています。ですから、この話はここまでにしておきます。
| 2010年08月30日 12:50
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プライベートな話で恐縮ですが(って、ほとんどいつもプライベートな話ですが)、私の妻は職場の同僚で、結婚後も変わらず一緒に働いております。
今日の昼前、彼女が先にランチに出て行ったところへ、私(というか私の姓)宛てに、「03地域からの」コレクトコールで電話がかかってきました。
妻は職場では基本的に旧姓で呼ばれていますから、当然のように私が出たんですが、「○○救急センター」と名乗る相手は「旧姓○○で、結婚して××(私の姓)になった方」に話がしたいらしい。
つまり、私ではなくて妻宛てということです。代わりに用件を聞こうと思ったのですが、「本人にしか話せない」と。「食事に出たのでしばらくすれば戻る」と応えたら、また掛けるということで、そのときの電話は終了。
……心配になりました。「救急センター」から緊急の連絡が入るとすれば、妻の親族の安否が気になります。妻の両親はたまたまですが「03地域」以外の場所にいることが分かっているから心配ない。しかし、妻を緊急連絡先にしている可能性が高い親族が別にもう一人います……。
待つことしばし。
オフィスに戻ってきた妻に、改めて電話がかかってきました。「ご主人が下腹部の痛みを訴えられて」という話だったそうです。「今、ここにいますけど」と返したら、「確認します」と電話は切れた、と。
むむむ?
これはひょっとして……。
振り込め詐欺の亜種でしょうか?
しかし、旧姓・新姓を把握していて、なおかつ職場の電話番号を知っているというのは、そこまで個人情報バレているのかと、かなり不気味です。
……でも、そこまで知っててなぜ夫の職場を把握していないんだよ!
ちなみに下腹部が痛むのは事実ですが、これは昨日から久しぶりに腹筋のトレーニングを再開したからだと思います(でも、下腹部よりちょっと上)。
| 2010年08月11日 13:37
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宣伝しなければいけないのに、すっかり放置しておりました。
私が地謡として参加している「てぃだエイサー隊」が大変お世話になっている写真家・木村雅之さんの写真展です。ま、タイトルからしてエイサー一色なのでしょう(笑) そもそも個展案内ハガキの画像が我々の写真です。地謡が写っている作品があるのかどうかは不明ですが……。時間帯からして、私は土日のどちらかに観にいくことになると思います。
日頃から「てぃだエイサー隊」を応援してくださっている皆さま、何はともあれエイサーに関心のある皆さまにも、足を運んでいただければ幸いです。
木村雅之写真展「イーヤーサーサー!」
2010年8月12日(木)~8月18日(水)
10:00~18:00(最終日は14時まで)
四谷「ポートレートギャラリー」(東京都新宿区四谷1-7 日本写真会館5階)
http://www.sha-bunkyo.or.jp

「今回の写真展では関東地方で活動するエイサー団体の人物をテーマにした写真としました。
団体によって演舞内容、使用する曲などは異なりますが共通するものは一緒です。老若男女が一同に声、太鼓、踊りを合わせ演舞する表情に私は「美」を感じます。
演舞する者が直向に一生懸命なら、受ける撮り手としても必死です。真剣勝負を繰り返し撮影を続けてきましたが、撮影から5年近くの歳月にあたり、今まで被写体となって戴いた方たちに、報告と感謝の印としてこの写真展を開催することに致しました。
関係各位の皆さんはもとより、多くのご来場者のご高覧を賜れたら幸いです。」
| 2010年08月09日 12:42
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ローマ字入力をめぐる誤解、ですね。
いや、たいした話ではないのだけど、どうもカナ入力の人って、ローマ字入力に対する妙な憎悪を示すというか、実態を知らない批判をするみたいだなぁと思って。
昔からの話題なのかもしれませんが、しばらく前に発売されたiPadのソフトウェアキーボードでカナ入力ができないようで、そのせいかあちこちでこの話題を目にします。私が目にした最初は、おさかなラボのこの記事(書いているのは、パソコン通信時代の知人です)。
それから、自民党の河野太郎衆院議員がTwitterでそのようなツイートをしていたので、ちょっとまとめてみました(Twitterのアカウントがないと読めないのかな?)
どうもローマ字入力を否定するカナ入力派の人は、ローマ字入力の場合、たとえば「ろーまじ」と入力するときにr o – m a j i とキーを叩くのだと思い込んでいるようですね。だから、「ろ」という1文字を入力するのに、カナ入力の倍の2ストローク必要だ、と思ってしまうのでしょう。
え、違うのかって?
違いませんけど、違います(←どっちだ)。
キーの配置を覚えておらず一本指でタイプするようなレベルならいざ知らず、「ローマ字」と入力したいときに、まずは「r」、次に「o」なんてことを考えるわけがありません。
実際の身体運用としては(などと言うのはおおげさですが)、「r」→「o」という順に叩くわけではありません。二つのキーは「同時」です(きっぱり)。それはたとえば、「拍手」という動作が、「左手を右に動かし右手を左に動かす」という動作では「ない」のと同じことです。「ろ」と入力するときと「or」と入力するときの違いは、拍手の際に左手が右手にぶつかるのと右手が左手にぶつかるのとどちらが早いか、という程度の話でしかありません(なんだそれは)。だから、「ro-maji」というキーシークェンスはまったく頭のなかにありません。あるのは「ローマ字」という最終結果か、せいぜい変換前の「ろーまじ」です。つまり、「日本語を打つのにローマ字で考えていられるかい」という批判(?)は、ローマ字入力者の実態とはかけ離れています。ローマ字入力者というのは、実際には「ローマ字で考えない人」なのです。ごくまれに、「『づゅ』はどう入力すればいいんだ?」などと考えてしまうことはありますが、まぁ年に1回あるかないか。あとは「『き』に○(半濁点)」や「『す』に○(半濁点)」といった場合には苦労しますが(たまに必要なんですよね、これが)。
※ ま、確かにスマートフォンとかの小さなソフトウェアキーボードの場合は、「r」と「o」を同時に叩くという入力はなかなか難しい。しかし「おさかなラボ」でも指摘しているように、カナ入力のためのキー配列を狭い画面に押し込むのでは、カナ入力であってもさほどスピード向上は期待できないような気もします(だからスマートフォンの場合、私はフリック入力を使います。あれを考えた人はスゴク賢いと思う)。
おそらく、上に挙げたような例においてローマ字入力を否定している人は、意識してはいないんでしょうが、「熟練したカナ入力」と「キーの配置を覚えておらず一本指でタイプするレベルのローマ字入力」を比較しているのだろうと思います。たぶん、ご自身がローマ字入力に慣れていないので、「そのようなレベル」でのローマ字入力しか考えられないのかもしれませんが、もちろんこれはまったくフェアな比較ではありません。そのことに気づいていないというのが、なんともはや……。
※ 余談にはなりますが、したがって、たとえば両手が使えない障害者用の入力方法(レッツチャットとか)ではローマ字入力という選択肢は考えにくいと思います。
もちろん逆に、ローマ字入力者が「カナ入力だとローマ字入力よりたくさんのキー配置を覚えなければいけない」云々の批判をするのも、これと大差ないのだろうとは思いますけど。
私自身はパソコンを使うようになって以来、一貫してローマ字入力なので、カナ入力にも親指シフトにもまったく馴染みがないのですが、何が一番優れた入力方法かと問われたら、「慣れてる方法が一番」としか言えないかなぁ……。
蛇足ながら、冒頭に書いたiPadについては、Androidみたいに他の入力方法をアプリケーションとして導入できるようにすれば解決する問題だと思うんですけどね。
| 2010年08月04日 12:34
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なんだかんだと7月は一回もブログを書かずに過ごしてしまいました。
前にも書いたように世の中がワールドカップ一色でうんざりしていたり、7月はじめにコンクールがあったり、ツール・ド・フランスが始まったうえに熱帯夜が続いて寝不足だったり、例年のようにエイサーシーズンに入って忙しくなったり……と、まぁいろんな要因が重なってはいるのですが。
とりあえずコンクール(琉球民謡音楽協会)のことは書いておかなきゃいかんかなと思うのですが……
今年も落ちました(大賞、曲は「夏花」)。
ん~。理由を挙げていけばいろいろキリがないと思うんですが、受ける前から、去年に比べてあまり大きく変われていないな、という感触はありました。稽古のときに師匠から受ける指摘も、なかなか変化してこなかったし。まぁ基本的にはそういうことかな、と思います。
ただ、同門から一緒に大賞を受けて合格した「うみかじ」さんのコンクール映像(我々の協会のコンクールでは、舞台の様子をDVDに焼いて受験者にくれるのです)を見せてもらったんですが、上手いとかそういうこと以前に(いや上手いんですけど)、自分はこれだけ真剣に一つの曲に取り組んだかなぁという反省がありました……。
今のところ、来年のコンクールはお休みにしようかと思っています。大賞だけでなく、来年受験資格が得られる笛の優秀賞や(たぶんこっちはちゃんと練習すれば合格すると思うんだけど)、他の人の応援も含めて、来年はパス。何しろ応援も含めて7年連続でコンクールに行っているので……ちょっと飽きました(笑)
| 2010年08月03日 19:22
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さかのぼれば、トルシエが「青い熱」とか言いだした頃から「気持ち悪さ」を感じていたのを思い出します。懐かしいね、2002年6月だ。日韓、ドイツ、南アフリカと回を重ねるごとにサッカーが、というかサッカーをめぐる状況がますます嫌いになる自分を感じます。
今回の異常な騒ぎを見て、ああそうか、これはフィードバックループなのかもしれないな、という気がしました。そしたら気持ち悪いのも当たり前か、と。
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| 2010年06月28日 20:09
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ゴールデンウィークの話も某店でのライブの話も書いていないのだけど、改めて、普天間飛行場移設問題(正しくは移設ではなく閉鎖・新設)について整理しておこうかと思います。というのも、前回の唄三線の稽古の際に、若き友人をこの件で「説得」する約束をしていたのに、二人ともころっとそれを忘れてしまったんで。
あらかじめ断っておきますが、その後の基地問題の展開にもかかわらず、私が言いたいことは本質的にはあまり変わっていません。ほとんどが前に書いたことの繰り返しです。それからもちろん、私のオリジナルの考えというのもほとんど含まれていません。たいていは、誰かの受け売りです。私が自分のオリジナルだと思っていても、私が考えつくようなことは、たいてい誰かがすでに指摘しているはず(と思う)。
ところで、沖縄の米軍基地の問題を語るうえで、二つのことを前提にしたいと思います。
一つは「日米安保は堅持する」ということ。したがって、(規模や数はともかく)日本国内に米軍基地は必要である、ということになります。
「ええ~!?」……と思う方もいるでしょう。
はい(笑)
大学時代には「共産党より左」をめざしていた(?)私としてはずいぶん大きな後退かもしれません。年をとって保守的になったのでしょう、たぶん。
だから私は、今のところ、敬愛するウチダ先生のように「『国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない』という一般論についての国民的合意を形成したい」(出典)というようなことは望みません。いやもちろん、究極的には、日米安保なんて冷戦期の時代遅れのシステム抜きに日本の平和が確保されるような状況を作っていくべきだろう、とは思います。でも、それを言い出すとたぶん話は一歩も進まない。ここは100歩譲って「日米安保は認める」ということにしておこうかと。「安保は必要だよね」「日米同盟は必要だよね」という前提を共有してくれる日本人は、(残念ながら)たぶんとても多いと思います。「今のところは」という限定を付けたいところだけど。
もう一つの前提は、「米軍基地が近所にあることを積極的に好む人はほとんどいない」。NIMBY(Not In My Back Yard)という言葉があるけど、たとえその必要性を認める人でも、自分の住む土地に「それ」があることを好む人はまずいない、ということです。基地がもたらす雇用や周辺地域での米兵の消費活動といった経済的な恩恵を口にする人はいるけど、「北谷栄えてコザ滅ぶ」という言葉の背景を考えてみれば、そのような基地の経済効果がきわめて不安定な根拠に基づいたものであることはすぐに分かるでしょう。
さて、そのうえで。
「米海兵隊基地の立地としては沖縄県内がベストである」と言われてます。アメリカも言う。自民党も言う。日本の自称軍事マニアも言う。
しかし、この主張は、さまざまなレベルでまちがいです。
1.
まず、複数の選択肢のなかで「○○がベストである」と主張する場合、その大前提として「○○」が選択肢のなかに入っていなければなりません。当然ですね。イタリアンレストランで、ビール・白ワイン・赤ワイン・スプマンテのいずれがベストかを悩むことはできても、焼酎という選択肢はない(普通は)。
そしてこの問題の場合、基地の移設先として「沖縄県内」という選択肢はありません。というか、あってはならない。理由は言うまでもなく、これまでの過重な基地負担を考えれば、です。国内の米軍基地及び関連施設の75%が沖縄県内にある、とよく言われます。これは間違ってはいないけど、問題の一端しか捉えていません。というのも、その状態は昨日や今日始まったものではないからです。戦後65年、復帰後だけを数えるにしても40年近く、その状況が続いている。単純に、米軍基地の1%しか立地していない県と沖縄県を比較するならば、1×40:75×40という話です。蓄積された差はとても大きい。ベストかどうか以前に、沖縄を選択肢に含めること自体が間違っているんです。ベストの場所に基地を作りたければ、「沖縄を除いて、どこがベストか」を一生懸命考えればよろしい。
ちなみに、沖縄の米軍基地(米軍専用施設及び日本政府(自衛隊など)が共同使用することもあるが「米軍管理下にある」施設)の総面積は約229平方キロ。普天間飛行場の面積は4.8平方キロ。普天間飛行場が返還されたとしても、なお沖縄県の負担が極端に・圧倒的に大きいことは銘記すべきだと思います(データは防衛省サイトより)。仮に移転先が県内になったとすれば、プランにもよるが、この比率が大きく減ることはありえず、ヘタをすると、さらに増える可能性もあるかもしれません。
話はここで終わってもいいのです。少なくとも沖縄の人たちは、これだけを言い続ければいいと思う。「対案を出せ」と言われるかもしれないが、「それは沖縄が考えることではない」と言い返せばいい。内地の人間のかなりの部分はこれまで米軍基地の問題などろくに考えてもいなかったのだから、そろそろ頭を使ってもいい頃ではないかな。
……でも、残念ながらこれに同意してくれる人は多くありません(理由は後で述べる)。鳩山首相も「ゼロベース」と何度も口にしています。ゼロベースで考えるということは、(沖縄の人には申し訳ないが)これまで沖縄が負担してきた分はチャラにして、改めてゼロから考え直そう、という意味にも取れます。ひどい話ですが。
2.
よろしい。100歩譲って(これで200歩)、沖縄も選択肢に含めることにしよう。さてこの場合、「沖縄がベストである」と言われるのは、どのような根拠でベストであるのか。諸々言われていますが、基本的には「軍事的・防衛戦略的にベストである」ということです。曰く、紛争想定地域への距離、陸上部隊・ヘリ部隊の統合運用、云々。
以前にも書いたことですが、「だから何?」というのが私の答えです。
軍事的・防衛戦略的な理由から、基地のロケーションとしてある土地がベストだとして、それが、そこに基地を置く十分な理由になるのか。なりません。なるわけがない。軍事的な理由が最優先されるのは、軍国主義国家だけです。日本のような「近代的な民主主義国家」(自称)では、軍事的な都合がそれ以外の社会的な配慮よりも優先されることは許されません。軍事的・防衛的観点から沖縄に基地を残す&新設すべきであると主張する輩は、北朝鮮で暮らすのがお似合いです(大丈夫、北朝鮮以外にもたぶん候補はあります)。
そもそも、軍隊というものは本質的に、敵意に囲まれた不都合な条件のもとでも最善のパフォーマンスを発揮することを求められる組織です。海兵隊にとって「理想的」な場所に基地がほしいというのは、日本が甘やかしているゆえの奢りにすぎません。不都合な立地でも運用で何とかするのが軍隊です。
※ ところで、Twitterで「軍事的な理由を最優先にしてはならない、運用面で何とかしろ」とつぶやいたら、自称「軍事マニア」などから「日本には運用で何とかしろという馬鹿が多すぎる」「旧日本軍の亡霊が出た」などと罵られました。たぶん、余裕のない旧日本軍の現場に対して軍上層部が「運用で何とかしろ」と無理を強要したことを指しているのでしょうが、文脈を無視してそのような同一視を試みるのは、いささか見識が浅いと申し上げざるをえませんね。旧日本軍と違って、通時的に見ても共時的に見ても最も潤沢なリソースに恵まれている米軍に対して「運用で何とかしろ」と言うのは、きわめて合理的かつ現実的な主張ではないでしょうか。
3.
いやいや、さらに100歩譲ってみよう(これで300歩ね)。つまり、北朝鮮の先軍思想を見習って、軍事的な理由を優先して海兵隊基地の場所を決めることにします。
では、それが海兵隊基地を沖縄に「新設」しなければならない理由として十分でしょうか。否。海兵隊は「どこにいてもいい」のです(ブラジルとかはさすがに遠すぎて大変かな)。海兵隊が沖縄にいなければならない理由として海兵隊の抑止力などということが言われ(首相も言っている)、海兵隊が有事の際の即応部隊であるような話を聞くけど、大嘘です。少なくとも今日の海兵隊に、即応部隊としての抑止力などありません。
よく知られているように、海兵隊は友邦内で住民を守りながら戦う部隊ではありません。他国の国土に進攻するための遠征軍です。なるほど「一朝事あらば、真っ先に海兵隊が駆けつけて打撃を与えるぞ」というのであれば、抑止力云々も言えるかもしれません。だが、他国の国土に進攻する場合、海兵隊が全軍に先駆けて殴り込みをかけるなどというのは、もう何十年も前の米軍の話です。最低でも制空権・制海権(主として対潜)を掌握し、敵国の対空防備を無力化してからでなければ、海兵隊が進出することはありえない。仮想敵国がどこであるにせよ、そのプロセスには一定の期間が必要です(開戦準備を含む)。その意味で、海兵隊が紛争想定地域に近接した場所に待機している必要など皆無なのです。
ちなみに、海兵隊が今のように沖縄に常駐する前(朝鮮戦争の頃だな)どこに配備されていたかご存知でしょうか。山梨と岐阜です。海兵隊の配備先が海無し県というのは何とも奇妙ですが、つまり当時でさえ、それくらい「どこでもよかった」のです。
……と、ここまで書いてウンザリしてきました。「1」だけで十分じゃないか。そう思って、2と3は白く塗りつぶしてしまいました(選択して反転させると読めますが)。
でも、たぶん「1」で話が終わらない国、それが日本なのでしょう。
普天間問題をめぐる鳩山首相の最大の功績は、日本がかくも不公正な国で、日本人がいかに卑怯で薄汚い国民かを白日のもとに晒したこと、そして「沖縄差別」という言葉を引きだしたことではないでしょうか。
基本的に、普天間飛行場の移転先を沖縄県内にするべきだと主張する内地の人間は、その大半が、(自覚の有無はさておき)植民地主義者・沖縄差別主義者であると考えてほぼ間違いないと思います。日本の防衛のために沖縄を捨て石にしようと考える点において、そういう連中はまさしく旧日本軍上層部と大きく変わるところはない。日本人の沖縄に対する考え方は戦中戦前とそうたいして変わっていない、と考えるべきなのかもしれませんが。
「本来は米国を相手に日本として交渉していくべきところを、政府対沖縄、政府対徳之島etcという構図にしてしまっているのが鳩山首相の失敗もしくはメディアのアジェンダセッティングの誤りだ」というような批判も目にしたように思います(ウチダ先生あたりもそのようなことを書いていたかも)。
でも私には、この問題を考えるにあたっては、日米安保も、どこぞの仮想敵国の脅威も、抑止力も、まったく度外視していいようにさえ思えます。コトの本質は、「日本が国内の一地域に対してとり続けている不公正な態度を続けるのかどうか」ではないかな。問われているのは、国家としての正統性なのだとまで言い切ってもいいかもしれません。
追記:このブログ↓は必読かもしれない。
【普天間基地問題】「怒り」と「平和」 http://akagawara.jugem.jp/?eid=221
| 2010年05月17日 23:12
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