この際、国外移設にも反対したい
小沢幹事長の政治資金疑惑(?)がもっぱらの話題だけど、ネット上でも一部のマスメディア(東京新聞!)でも、徐々に「検察の違法な情報リークにマスコミが踊らされている」という冷静な批判を目にすることが増えてきたように思います。
ま、そういう問題はさておき、仮に小沢幹事長の資金疑惑がクロであったとして、変化を求めて前回の選挙で民主党を選択した人は、今回の一件をむしろ歓迎すべきではないかな。民主党に残る旧自民党的な要素を排除する好機として。
逆に民主党政権を批判する場合は、「自民党と同じである点」に対する批判(特にこの政治資金の問題とか)と「自民党と違う点」に対する批判(たとえば永住外国人地方参政権の問題とか)とをきっちり分けないとおかしな話になってくるように思います。
今のところ、私の関心は政治資金疑惑よりも、むしろ24日投票の名護市長選挙のほうにあるわけで……といいつつ、正直なところ、普天間基地移設の問題については、この選挙の結果がどうなろうと本質的には関係ないのではないか、という気がしています。
沖縄への米軍基地集中に関しては、たとえば、戦略的・地政学的な理由などと称して軍事的な合理性・必然性を説く論があって(例)、もちろんその合理性を否定する反論(例)もあるわけですが、私に言わせりゃ、そんなのどうでもいいんじゃないか、と。
仮に、沖縄に米軍基地を置いておくのが軍事的に最も合理的であるとして、どうしてそれが県内移設の理由になるのかサッパリ分かりません。軍事的な合理性が何よりも優先されるとしたら、それはいわば一種の「先軍政治」(by金日成・金正日)ではないのか。軍事的な理由がどうであれ、それ以外の政治的・経済的・社会的な理由のほうが上位に来るというのが、アメリカや日本も含めた先進民主主義国の原則なのではないか。別の土地に基地を作ることで軍事的な合理性が損なわれるなら、そんなもの運用で何とかしろよ、と言うのが筋でしょう。実際、軍の配置が軍事的な合理性だけで決まってきたことなんてむしろ稀で、政治その他いろんな理由で振り回されつつ「何とかやってきた」のが現実ではないか。
返す刀で、というわけでもないのだけど、辺野古移設に反対する「美ら海を守ろう!」とか「ジュゴンを守ろう!」とかいう類の主張にも、私はほとんど共感できません(ゼロではないが)。基地に反対する沖縄の県民感情なんてのも、この際、私はあえてすっぱりと考慮から切り捨てています。私なぞがそれを理解できるというのも何だか傲慢な気がするし、住民の感情が決定要因として最優先されるのであれば、恐らく日本のどこにも基地など建設できないでしょう。その一方で、もちろん、理由や程度はどうあれ、基地に対して肯定的な沖縄県民だっているわけで。そんなわけで、上にも書いたように、名護市長選挙の結果は本質的には関係ないのではないかと思うわけです。
結局のところ、私が普天間基地の県内移設に反対する理由は、それが「日本が公正な国であるかどうか」という問題に深く関わってくるからだ、という一点に尽きるのかもしれません。それはつまり、日米安保(を軸とする日米同盟)が日本国憲法より大切なのだとしたら(そう考えている人がこの国にはかなりいるようです)、その大事な大事な日米安保を「日本全体で」担っていくという覚悟・責任感が、はたして本土の都道府県にあるのか、という問いかけです。
以前、沖縄戦に関する議論をしていた際に、県出身者から「沖縄戦で本土決戦のための時間稼ぎをやらせておいて、実際には本土決戦をやらずに無条件降伏してしまったというのは、本土の裏切り行為ではないか。なぜ本土決戦をやらなかったのか」という発言がありました。結果として生じるであろう犠牲の大きさを思えば、これはさすがに暴論でしょうが、その裏切りは今も続いているのではないかという気がしてならないのです。

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