2012年1月の読書まとめ

毎月これを記録しておこうとか思っていると、結局挫折したりするんですが……。

先月のヒットは『なぜ私だけが苦しむのか』ですね。『反哲学入門』もかなり面白かったです。

1月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:2591ページ
ナイス数:19ナイス

小商いのすすめ小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ
著者の本はすべて読んでいるファンとしてこんなこと書きたくはないのだが、ちょっと期待外れ。内容としてはいちいち頷くことばかりだし、こういう本がよく売れているというのはとてもいいことだと思うのだが、なんだか、とても読みやすいのだけど「ゆるい」感じがしてしまう。ふだんはもっと骨太さと切れ味の両立した文章を書く人であるように思う。これまでとは違う「ですます」調の文体が、(少なくとも私という読者に対しては)むしろマイナスに作用してしまったか。いや、いい本なんですよ、すごく。でも物足りないな~。
読了日:01月28日 著者:平川克美
ベストセラー炎上ベストセラー炎上
6点の本/著者が取上げられているのだけど、私はベストセラーだからといって本を手に取るタイプではないので、自分が読んだことのある本2点のみ(村上春樹『1Q84』、内田樹『街場のメディア論』)の部分だけ読んだ。「飛ばし読みだからよく分らないけど」(西部)というスタンスで批評(?)している。その点に、この本のすべてが言い尽くされている。この本で批判されているということは、逆に、他の4点も良書ということなのかもしれない。
読了日:01月28日 著者:西部 邁,佐高 信
はてしない物語はてしない物語
中盤まで(読んだ人にはどの時点までかすぐ分かるでしょう)かなり引き込まれて読んだけど、その後ちょっとダレた感じでペースが落ちた……。良い本だとは思うのだけど、いろいろ詰め込みすぎて散漫になった印象があるなぁ……。
読了日:01月22日 著者:ミヒャエル・エンデ
反哲学入門 (新潮文庫)反哲学入門 (新潮文庫)
哲学史の入門としてはよくまとまっていると思う。ただ、特に理性主義に対する反発の部分は、やや感情的というか、日本の哲学界に対する私怨のようなものがあるのではないかと感じてしまう。まぁそれもまた、名物教授の雑談混じりの講義を聴いているようで良い味とも思えるが。著者はニーチェ以降をそれまでの哲学と一括りにして哲学史のなかに位置づけることに否定的だが、「存在」をどのようなものと捉えるにせよ、「言葉」を介して「存在」を思索するという限りにおいて、(続く)
読了日:01月18日 著者:木田 元
最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)
表題作(?)でもある「最終講義」は、雑誌「文学界」掲載時にすでに読んでいたのだが、読み返しても感動的だった。あとは、やはり教育関係の講演が良い。ユダヤ学会での講演は、『私家版・ユダヤ文化論』にはけっこう感銘を受けた覚えがあるわりには、今ひとつピンとこなかった。
読了日:01月14日 著者:内田 樹
いちばんやさしいネットワークの本 (技評SE選書)いちばんやさしいネットワークの本 (技評SE選書)
このレベルの話ならだいたいは分っているので、主として「社内なんちゃってシステム管理者」の後継者養成に向けて「どう説明するか」を模索するために読んだが、それでも「あ、そうだったのか」と気づかされる点もあった(笑)(←このへんが「なんちゃって」の悲しさ)。先日読んだ『小悪魔女子大生の……』よりはるかに読みやすく、しかも情報量は多い。「おわりに」の「IT業界で働くエンジニアが幸せになったとき、本当の意味で、ITが人を幸せにする世界が実現すると信じています」という言明は、良い意味で文系出身者っぽくていいな。
読了日:01月12日 著者:五十嵐 順子
ゴーストタウン チェルノブイリを走る (集英社新書)ゴーストタウン チェルノブイリを走る (集英社新書)
人間がこれまでに生み出したもののうち、最も長く残るのはプルトニウムなのだ。残念ながら。
読了日:01月10日 著者:エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
もう少し癒やし系の本かと想像していたら、実にエキサイティングで知的刺激に富む本だった。もちろん、癒やしや感動の要素もあるのだけど。石原慎太郎は昨年の震災・津波について「天罰」発言をしたが、この本の著者はこう書く。「保険会社は地震やハリケーン、その他の自然の災害を『神の行為(Act of God )』と表現しています。(中略)私にとって、地震は『神の行為』ではありません。神の行為というのは、地震が去った後で生活を立て直そうとする人びとの勇気のことであり、被災者を助けるために自分にできることをしようと(続く)
読了日:01月08日 著者:H.S. クシュナー
民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)
明快な結論や展望が提示されるでもなく、著者自身も認めているように雑駁な印象は拭えないけど、そのこと自体が、問題そのものが簡単にまとめられない性質であることを物語っている。問題に対する解答を与える本ではなく、問題がどこにあるのかを説明するような本。勉強になる。
読了日:01月03日 著者:塩川 伸明

2012年1月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター

昨年(2011年)の読書まとめ

昨年に続いて、「読書メーター」による2011年の読書まとめです。

2010年以上に本を読んでいない……まぁ単に冊数を比較すればという話ですが。読了日を追っていくと、やはりというか、3月に読書量ががくんと落ちている気がします。まぁスピノザという難関を抱えていたせいもありますが。結局『デカルトの哲学原理』は読了しなかったのかなぁ……。

Continue reading

45

あけましておめでとうございます。

……「遅いよ!」

いや、そのとおりなんですが、いろいろバタバタしていて書きそびれまして、旧正月になってしまいました。

2011年は、一昨年末に書いたように「形に残るような目標は立てずに、ひとまず充電を心がける年」(記事)というつもりで迎えたのですが、個人的には、まぁだいたいにおいてそのような年になりました。唄三線のコンクールも受験せず、マラソンの記録更新を狙うでもなく……(そもそも出場を予定していたフルマラソンが二つ中止になったというのは大きいのですが)。

もちろん、言うまでもなく、社会的・国家的なレベルでは忘れることのできない一年だったわけですが(充電というより節電か)、そのなかで家人ともども比較的平穏無事に過ごせたのはありがたいかぎりです。上記の記事にも書いた2011年の「楽しみ」、ラグビーワールドカップを現地観戦できたのは、何よりの思い出になりました。あと、家人のイタリア語に対抗(?)して、フランス語の教室に通い始めたのもちょっと新しい展開かな。

今年も、あまり高望みせずに、地味にいろいろと課題を克服していければと思っています。

唄三線のコンクールは今年も回避する可能性が高いのですが、たぶん今年終盤には我々の教室の発表会もあるはずだし、前に習ったのに忘れてしまった曲もけっこうあるので、地道に実力を高めていければ、という感じです。

走る方ですが、一昨年に腰の不調を経験して以来レースではこれといった成果が出ていないので、今年はまぁ、過去の自己ベストに近いくらいのタイムまで戻せたらいいかな、と。この正月は「初日の出ラン」をせず、そのままずるずるとサボり続けていたのですが、このところようやく、走る日常が取り戻せつつある気がします。とりあえずの出場予定は、2月の青梅マラソン(30km)、3月の板橋シティマラソン(フル、目標4時間半)、5月の柏崎潮風マラソン(フル、きついコースのようなので完走目標)といったところ。もちろん、年末のNAHAマラソンは走ることになると思います。

自転車については、昨年は震災を機に自転車通勤を試みたり(通勤電車内が貴重な読書タイムなので、日常的に自転車通勤というところまでは行きませんでしたが)、小規模ながらレース(こんなの)に出場したり、聖地・ヤビツ峠にたいへん苦しみつつも登ってみたり(↓写真)、といったところでした。今年はもう少し通勤で使いたいなというのと、贅沢な話ですがもう1台……ついにロードレーサーに手を出してしまおうかな、と思っています。まぁその置き場所という意味でも、家人のブログにもあるように、もう少し家の中を整理しないといけないのですが。

と、あいかわらず趣味の話ばかりで仕事の話が出てこないのですが、今年もよろしくお願いします。

※ ところでこの記事のタイトルですが、昨日45歳の誕生日を迎えました。Facebook、mixiなどでお祝いのメッセージをいただいた方々、ありがとうございました。

第三舞台『深呼吸する惑星』

昨夜は第三舞台封印解除&解散公演『深呼吸する惑星』。第三舞台の芝居は、これまでの公演履歴を見てはっきり記憶に残っている限りでは、1991年の『朝日のような夕日を連れて’91』以来、20年ぶりかと思う。たぶんその頃から、あまりの人気で、チケットの入手が困難になって、「それなら、まぁいいか」と諦めるようになってしまったのだと思う。

『深呼吸する惑星』は、とてもよい芝居だった。オールドファン(笑)向けのサービスがいろいろあったのは解散公演ならでは。演技や演出はまぎれもなく第三舞台なのだが、物語の雰囲気は虚構の劇団による最近の作品に近く、「今の鴻上さん」という感じ。

そして、一番嬉しかったのは、第三舞台の芝居をもう観られなくなるというのは寂しいけど「ああ、もうオレにとっては、第三舞台が解散してしまってもいいんだ」と思えたこと。

これが「つまらなかった」とか「期待外れ」とか「やっぱりもう古いね」とかいうネガティブな意味ではない、ということを説明するのは、なかなか難しい。もちろん、「鴻上作品は虚構の劇団でこれからも観られるから大丈夫」という意味でもない。

私がふと思い出したのは、大学3年のとき、1週間のあいだに両親が相次いで死んだときのこと。もちろん大変だったし悲しくもあったのだけど、私も姉も淡々とその事実を受け止めて生活を続けていった。姉は両親の死の数週間後には予定通り院試を受けたし(受かったし)、私もその後、就職活動をして、取り残した大量の単位を確保し(笑)、卒論を書いて、無事に卒業し就職した。

もちろん、大学3年といえばそれなりに大人でなければいけない年齢ではあるし、少なくとも自分で稼げるようになるまで生活できるくらいの経済的な基盤を両親が用意しておいてくれた(最初はどうなることかと焦ったけど、ちゃんと備えがあった)というのは大きいのだけど、それにしても我々姉弟は冷静だったと思う。

そしてそれはたぶん、「そのように振る舞えるように親が育ててくれた」という、それだけのことなのだ。親が死んでも動揺せずに日々の暮らしを続けられるように子どもを育てる、というのが、うちの両親の我々に対する教育だった(たぶん)。

劇団とその観客の関係を、子どもに対する親の教育に喩えるのはもちろん違和感があるけれども、それでも敢えて言うならば、第三舞台は、「第三舞台が解散しても大丈夫」と思わせるような芝居を、最後に見せてくれたように思う。

そして、これは今回の芝居における鴻上さんの「ごあいさつ」とじゃっかん被るのだけど、私がいまだに両親の夢をたまに見るように(たいていは叱られる…)、第三舞台の芝居を忘れることは、たぶんないだろう。

第三舞台『深呼吸する惑星』サイト

日記について

しばらく前から日記をつけています。

最初のきっかけは、ちょっとした体調不良。前にも同じようなことがあって、どれくらいで治ったのか、何をどうしたら改善されたのかを記録しておくといいだろうなぁという、きわめて散文的・現実的な理由でした(ちなみに体調不良といっても「舌が荒れる」という些細なことです)。

それが2002年11月だったから、もうすぐ丸9年。その後、ブログやSNSなどインターネット上でもいろんなサービスが出現しましたが、他人様に披露する必要もない私的な日常を記録するのは、やはり個人的な日記がいちばん。「3年前の今頃は何をやっていたのか」「去年はいつ頃ホットカーペットを出したのか」など、過去の記録を繙くのも興味深い。

では、どのような形で記録を残しているのか。紙の、いわゆる「日記帳」や「手帳」ではありません。一つには書くのが面倒くさい(ただし近年、「手で書く」ことの重要性も痛感していますが)。それから、バックアップを取ることが現実的ではない。そして、検索が基本的には時系列でしかできない、といった欠点があるからです。

電子データならこのへんの課題を自然にクリアできるのですが、私が使っているのはブログでもSNSの日記機能でもありません。

Continue reading

再び、「外国人」について

ラグビーワールドカップ2011も、はやあと2試合を残すだけになってしまいました(今日の3位決定戦と、日曜日の決勝)。寂しい……けど、翌週にはいよいよ日本のトップリーグも始まります。トップリーグ開幕については改めて書こうと思いますが、その前に、もう一度、日本代表をめぐる「外国人」問題について。

これまでに書いたものは、ここ(→URL)にまとめてみました。

これを書いた後、ニュージーランドに赴いて現地で日本代表を応援したわけですが、その過程でも私の考えは特に変わりはしませんでした。むしろ強化されたと言ってもいいかもしれない。

Continue reading

それでも、前を向いて(対カナダ戦)

 

(写真は、対フランス戦が行われたノースハーバー・スタジアムの脇にあったサブグラウンド?)

対ニュージーランド戦のときと同様、スコアを記しておきます。

2007年第6回ワールドカップ、12対12(ボルドー、フランス)

2011年第7回ワールドカップ、23対23(ネイピア、ニュージーランド)

なんと2大会連続の同一カード引き分け(他に例はないはずです)。

例によって試合開始時刻からTwitterやニュースサイトなど一切の情報を遮断して仕事に専念し(いやふだんから仕事に専念しなさいって)、夜、帰宅してから録画観戦した我々にとっては、残念な結果になりました。

「最低でも2勝」を掲げて臨んだ大会で、1勝もできず。でも、トンガ戦のときの落胆とは違って、なんというか、「ああ、勝たせてあげられなかった」という気持ちがしたのはなぜだろう。

Continue reading